だいぶもうそう。

個人的にすばるくんについて話すだけのブログ。全てが妄想。

いま

今すばるについて書いてるブログ巡りをするっていう自殺行為してんだけど、たまに「頑張れなんて言えないよ。もう顔も見たくないって思う。エイトとの共演もやだ」っていう内容を見るんだよね。イラつきもしないし、もちろんそんな意見もあるよねって思うんだけどね。
担降りしてたとはいえ、私は一切そんなことを思ったことはなくて。でもそれは「大きくなってエイトと共演してね(キラキラ)」とか「どこにいてもすばるがエイトのメンバーだったことは変わらないよ!応援してるね!(キラキラ)」とかいう感情でもなくて。ただただ、私が見てきたのはファンをしてた当時も今も『渋谷すばる』だけだったんだなぁって思った。
脱退も退所も海外を拠点に音楽をっていうのも、すばるとエイトは分断された状態でしか頭に入ってなくて。「ああ、今のすばるにはそんな選択肢もあるのか」とか「あの子歌うのが大好きだったからね」とかしか生まれてこなくて。
前にも書いてたけど私が好きなのはやっぱり『関ジャニ∞渋谷すばる』じゃなくて『渋谷すばる』、関ジャニ∞はすばるが居るグループ、だからすき。だったんだなぁって思う。
もちろん一丁前に三馬鹿好きだし、やすばも好きだったよ。やすばはちょっと闇だけど。
ただ一つ思うのは、メンバーだった、幼馴染みたいにずっと一緒にいたすばるが脱退して、Jr時代どう思っていたにせよあの黄金期を一緒に駆け抜けた滝沢秀明もタレント業を辞めるっていうのを越えていかなきゃいけなかった横ひなはどんな気持ちなんだろうって。8J見てね、思った。
Jr.黄金期の終わりって感じがするね。TOP3が居なくなると。だってデビューしたって黄金期のメンバーの物語は続いてた。それが終わったんだなぁって。
その当時にファンしたかったなってずっと思ってたけど、まさかその終りを経験すると思わなかったよ。
今はまだアイドルをしてた渋谷すばるである時間の方が彼の人生の中で圧倒的に長い。でもいつか、ただ渋谷すばるとして生きる時間がアイドル人生22年と同じになって、それよりも長くなっていく。アイドルのすばるを知らない人が出てくる。私の中には残り続けるのに。
ってな具合で私は光ちゃんへの熱量とは比べ物にならないくらい渋谷すばるを引き摺って拗らせて、執着心を手放せないでいるわけで。す担に嫌われそうだけどね。手を離した上にここ3年はすばるについて全く知らないんだから。いつかこの未練も執着もなくす日が来るんだろうか。
そしてこうなってしまったら私はKinKiファンになんて戻れなくなるんじゃないか。アイドル渋谷すばるのファンという亡霊になるしかないんじゃないか。この人生で彼の姿をもう一度この目で見られるかも声を聴けるのかも分からないのに。でも目の前で自担が階段転がり落ちてギネス更新しちゃったりするより(森光子さんのは抜かすだろうと思ってる。事務所がそうしたいだろう)、亡霊として彷徨う方が『渋谷担の掛け布団』時代の私を知ってる人からすれば自然なんだろうなぁと思う。それともこれはただの感傷なんだろうか。元カレが結婚する、みたいな。いつか薄れていって、KinKiを好きになってすぐの時みたいに、すばるのことなんて全部忘れて、誰かを追いかけて騒いでるんだろうか。ウザくてもキモくてもイタくても、そんな風になるのは寂しいと思うのもただの感傷に過ぎないんだろうか。たぶん、きっとそうだろう。だってこの3年、すばるがいなくても私は生きられたんだ。実家に帰ってDVD掘り起こして来ればいつだって私が大好きで大好きで仕方なかったすばるを見ることが出来る。録画した番組のDVDもBlu-rayも全部ある。黄金期のVHSだってある(再生機器はないけど)。エイターテイメントもジャムもリサイタルも買えばいい。でもきっと、そんなことをしなくても彼の跡をわざわざ辿らなくてももう少ししたらすばるの名前を毎日こうやって連呼することも、関ジャニ∞の曲を聴くこともやめてしまうだろうと思う。きっと今月中に泣くこともしなくなる。まあ気が済むまで騒いで泣くか。
でもひとつだけ言えるのは、今もし2015年の3月に戻れるなら。その時の私がYouTubeで剛くんのラジオ音源を聴こうとするのを必死で止める。あれが無ければ私は今、すばる担として正々堂々と泣き喚くことができていた。