だいぶもうそう。

個人的にすばるくんについて話すだけのブログ。全てが妄想。

渋谷すばるが帰ってくる

2019年4月26日。
夢だと思った。


私はこの日、友達とカラオケオールをしてた。
オールするぞ!って意気込んで行ったけど眠くて仕方なくて寝てしまっていた。

途中、起きてぼんやりした頭でスマホをつけたら
母からメールが来ていた。

〘すばる、FC作るって!CD出すって!〙

全く私の母はどこでサ〇ゾーの記事を見たんだよ、と思った。
半分疑ったままTwitterを開いた。私のTwitterのフォロワーは関ジャニ仕様でもすばる仕様でもなくKinKi Kids仕様なので誰一人、すばるの話をしていなかった。

トレンドを見てみた。


渋谷すばる
FC発足



……え?
…え?
すばる!?
朝イチで叫んだ。ちなみに隣で友達が眠っている。うるさいって言われた。
でも取りあえず起こして「すばる!すばる帰ってくるって!!」と伝えてみた。ジャニーズにもすばるにも興味のない男相手に。

FCにはその日のうちに入った。
私はすばるがいなくなったあの日からこの時をずっと待っていた。
3月のバイト代が少なくて生活が苦しいのなんてどうでもよかった。
すばるに、あなたが大好きだよ、待ってたんだよって伝えられるなら6000円ちょっとの急な出費なんて気にならない。
どんどん増えていく会員数に驚きながら笑ってくれたらそれでよかった。

私はすばるが帰ってきたらジャニオタを辞めようって決めてた。だから私はあの日に図書委員をやめてShubabuの仲間入りをした。
私は器用ではないから”好き”を分散させられない。
たしかにすばるを追いかけながらthe shes goneと斉藤壮馬を追いかけようと決めてはいるけど。
盲目的になるのは後にも先にもすばるだけだ。


早すぎるなんて意見もあるけど
それでも私はすばるが笑えてればなんでもいいチョロいファンだから
すばるの声を聴けて姿が見られる、それが約束された今がやっぱり何より嬉しいし大事。

おかえり、すばる。
これからまたよろしくね。
また新しい景色を見させてね。
背中ならめいっぱい押せるように頑張るから。

いま

今すばるについて書いてるブログ巡りをするっていう自殺行為してんだけど、たまに「頑張れなんて言えないよ。もう顔も見たくないって思う。エイトとの共演もやだ」っていう内容を見るんだよね。イラつきもしないし、もちろんそんな意見もあるよねって思うんだけどね。
担降りしてたとはいえ、私は一切そんなことを思ったことはなくて。でもそれは「大きくなってエイトと共演してね(キラキラ)」とか「どこにいてもすばるがエイトのメンバーだったことは変わらないよ!応援してるね!(キラキラ)」とかいう感情でもなくて。ただただ、私が見てきたのはファンをしてた当時も今も『渋谷すばる』だけだったんだなぁって思った。
脱退も退所も海外を拠点に音楽をっていうのも、すばるとエイトは分断された状態でしか頭に入ってなくて。「ああ、今のすばるにはそんな選択肢もあるのか」とか「あの子歌うのが大好きだったからね」とかしか生まれてこなくて。
前にも書いてたけど私が好きなのはやっぱり『関ジャニ∞渋谷すばる』じゃなくて『渋谷すばる』、関ジャニ∞はすばるが居るグループ、だからすき。だったんだなぁって思う。
もちろん一丁前に三馬鹿好きだし、やすばも好きだったよ。やすばはちょっと闇だけど。
ただ一つ思うのは、メンバーだった、幼馴染みたいにずっと一緒にいたすばるが脱退して、Jr時代どう思っていたにせよあの黄金期を一緒に駆け抜けた滝沢秀明もタレント業を辞めるっていうのを越えていかなきゃいけなかった横ひなはどんな気持ちなんだろうって。8J見てね、思った。
Jr.黄金期の終わりって感じがするね。TOP3が居なくなると。だってデビューしたって黄金期のメンバーの物語は続いてた。それが終わったんだなぁって。
その当時にファンしたかったなってずっと思ってたけど、まさかその終りを経験すると思わなかったよ。
今はまだアイドルをしてた渋谷すばるである時間の方が彼の人生の中で圧倒的に長い。でもいつか、ただ渋谷すばるとして生きる時間がアイドル人生22年と同じになって、それよりも長くなっていく。アイドルのすばるを知らない人が出てくる。私の中には残り続けるのに。
ってな具合で私は光ちゃんへの熱量とは比べ物にならないくらい渋谷すばるを引き摺って拗らせて、執着心を手放せないでいるわけで。す担に嫌われそうだけどね。手を離した上にここ3年はすばるについて全く知らないんだから。いつかこの未練も執着もなくす日が来るんだろうか。
そしてこうなってしまったら私はKinKiファンになんて戻れなくなるんじゃないか。アイドル渋谷すばるのファンという亡霊になるしかないんじゃないか。この人生で彼の姿をもう一度この目で見られるかも声を聴けるのかも分からないのに。でも目の前で自担が階段転がり落ちてギネス更新しちゃったりするより(森光子さんのは抜かすだろうと思ってる。事務所がそうしたいだろう)、亡霊として彷徨う方が『渋谷担の掛け布団』時代の私を知ってる人からすれば自然なんだろうなぁと思う。それともこれはただの感傷なんだろうか。元カレが結婚する、みたいな。いつか薄れていって、KinKiを好きになってすぐの時みたいに、すばるのことなんて全部忘れて、誰かを追いかけて騒いでるんだろうか。ウザくてもキモくてもイタくても、そんな風になるのは寂しいと思うのもただの感傷に過ぎないんだろうか。たぶん、きっとそうだろう。だってこの3年、すばるがいなくても私は生きられたんだ。実家に帰ってDVD掘り起こして来ればいつだって私が大好きで大好きで仕方なかったすばるを見ることが出来る。録画した番組のDVDもBlu-rayも全部ある。黄金期のVHSだってある(再生機器はないけど)。エイターテイメントもジャムもリサイタルも買えばいい。でもきっと、そんなことをしなくても彼の跡をわざわざ辿らなくてももう少ししたらすばるの名前を毎日こうやって連呼することも、関ジャニ∞の曲を聴くこともやめてしまうだろうと思う。きっと今月中に泣くこともしなくなる。まあ気が済むまで騒いで泣くか。
でもひとつだけ言えるのは、今もし2015年の3月に戻れるなら。その時の私がYouTubeで剛くんのラジオ音源を聴こうとするのを必死で止める。あれが無ければ私は今、すばる担として正々堂々と泣き喚くことができていた。

すばる懐古厨

渋谷すばる回顧厨


関ジャニ∞渋谷すばる”が居なくなるなんて思ってもみなかった。
渋谷すばるは私の黒歴史製造元であり、青春だった。この発言が既に新たな黒歴史を生み出している。すごい。

そんなことはさておき、3年前に降りた身とはいえどうしても書きたいと思ってしまったから何となく思いつくままに書いていこう。


渋谷すばる回顧録(@私の記憶)


1. 2012年 渋谷すばる回顧録

こうして章に分けたことに意味は無い。
2012年。関ジャニ∞にとっては大切な(別のグループにとっては多分普通の通過点である)8周年の年。私は沼に落ちた。
なんで渋谷すばるだったんだろう。ここで錦戸亮とか選んでおけば今こんなに実感の伴わない自担との一旦のお別れをせずに済んだのに。
それはともかく。2012年と言えば渋谷すばるぱっつん期の始まりだった。可愛い時もあったが最後の方は文句垂れてた記憶がある。でも全部全部、かっこいいよ、可愛いよって褒めていればよかった。
さて。2012年夏、空気を読まないド新規はなんていうか、すごはち申し込んで当ててしまうという今から思うと、古参に〇されてもおかしくないようなミラクルを起こしてしまう。初めて見た彼は京セラドームで、道着とハゲヅラを身にまとっていた。意味がわからない。初めて聞いた彼の歌はそこで最後に歌われた『大阪ロマネスク』だった。今でもこの歌を聞くと勝手に手が動き、ついでになんか泣けてくるのはきっとこのせい(ちがう)。

そしてその2日後。∞祭に参加する。これは何故か最後の先着順一般販売で手にしてしまったチケットである。10日、グループ3。すばるのブースに長時間並んで、写真めっちゃ撮りまくった記憶。その写真は今も残ってる。ライブパートはす担人生の中で一番近くで彼を見た日かもしれないと、ふと思う。小さくて華奢で、でも歌は恐ろしく上手くて、でも近すぎて顔が見れないという純情ぶってたころ。今なら余裕でガン見する。

ONEを歌ったのはこの年のドームだった記憶がある。これは生で聴きたいと思っていて聴くことが出来なかった曲のひとつ。
この年は8ESTには参加していない。まだ序章である。



2.2013年 渋谷すばる回顧録

2013年 どうやら『明日はどっちだ』の放送がはじまったらしい。私はこの番組でのあのボクサーの方との出会いも、今回のすばるの決断に何かしら影響したのではないかと少しだけ思っている。
シングル『涙の答え』では忘れられない、渋谷すばる眼鏡忘れ事件が起きている。可愛い、ほんと可愛い、大好きだったそういう所が。
そしてここで登場するのが、かの有名な(?)JUKE BOXである。アルバムタイトルでありツアータイトルでもあったJUKE BOX。初めて参加したツアーである。京セラのスタンド下段最後列。ちなみに、ここからニズムにかけてアリーナまで前進していくという面白い引きを見せる。

それよりなにより。NHK BSプレミアム『The Covers』に出演した話がしたい。私はこの時や味園発表の時にす担をしてたかどうかで話の合う合わないを判断してしまうという悪い癖があるレベルにこの時が堪らなく大切。

この情報、最初に流れてきたのは公式からのアナウンスではなく何かの雑誌のすばるくんのプロフィール欄に載っていたことからだった気がしてならない。少なくとも私はそれで知った。

歌い出しからして全てが今までのすばると違うと思った『ラヴ・イズ・オーヴァー』
その後なんども歌うことになる『スローバラード』
私が一番好きな『青春ノスタルジー
ネットでも結構評判は良くて。あのすばるくんが一人でテレビに出て、うたを歌ってみんなに褒められて。ねえ、これが私の自担だよ、最高にかっこいいよね、みんな聞いてるゥ!?って言いたくなる案件のひとつ。
青春ノスタルジー。エイトで歌う時とまた違う雰囲気で、最初瞳をつぶって歌ってるところが多いんだけど、ずっとずっと柔らかい空気で楽しそうに歌ってて、すばるくん良かったねぇって楽しいねぇって。やっべ、一人で泣けてきた。

あと調べてわかったけどこの年のスバラジ10月12日分でお便りが読まれている。



3.2014年 渋谷すばる回顧録

実際私が参加したJUKE BOXの日程はこの年。京セラ勢だから年明けだったのだ。
この年といえば『キングオブ男』。謎に金色の人がステッカーを配り始めるという暴挙に出ていたテイチクさん。まさかその先にテイチクさんとの別れがあると思ってなかった。このPVはすばるくんが抜群にかっこいい。ちびっこギャング……(ごめんなさい)。多分これが一番再生したPVだと思う。錦戸亮ちゃんとガシッと手を握り合うシーンはあまりに有名(かつ面白い)。
この年に、映画『エイトレンジャー2』が公開された訳だが、予告編公開時のどよめきが忘れられない。「え、なに、薫ちゃん主役?え?」というどよめき。どれだけ情報が出てもそうとしか考えられない。でもすばるだよ?え、すばるだよ、ほんとに?という期待を裏切られたくないからこその疑い。

そんなことをしている間に、私がす担人生で忘れられない瞬間のひとつ。2014年6月『味園ユニバース 情報解禁』である。新聞の見出しは「渋谷すばる 髪30cm ばっさり」……いや、女子か。
正直私はすばるは俳優業はしないと思ってた。ほかのメンバーが映画にドラマに舞台にと演技のお仕事をする中でもすばるはエイトレンジャー以外は沈黙保ち続けてたから(2012年『パパドル』も文字通り最終回まで沈黙を保ってたのは記憶に深く焼き付いている)。歌が好き、うたを歌いたいっていうすばるに「演技の仕事してよ。ドラマが見たいよ」なんて言っちゃいけないと思ってたから。
でも私は『ありがとう、オカン』の幸也ちゃんが死ぬほど好きで演技が出来ないはずがないと思ってて、どうしても見たくて、でも見たいとは言えなくて、そんな中で発表されたから死ぬほど嬉しかった。

それだけでも死ぬほど嬉しかったのに、この年の12月1日。『ソロデビュー&ソロツアー』発表。ああ、死んだと思った。私これ幸せすぎて死ぬんだと思った。それと同時に、日本のどこでも行ってやると決意した。出来ればなんばHatchの方向で固まって欲しくはあったけど。

そしてこの年、ノリと勢いで申し込んだスバラジの公録が当たった。2014年11月22日分である。




4. 2015年 渋谷すばる回顧録

ツアーは当選した。2015年1月30日Zepp Fukuoka
ちなみにこのチケット戦争は「ライブハウスだからオールスタンドだぞ!頑張らないと!」と思っていた私の緊張を他所に2階最前列の指定席が当たるという結末であった。これにより、初めてのライブハウスは渋谷すばるに捧げておいた。
ちなみにこれが私の初めての泊まりを伴う遠征である。ド田舎の、旅行に重きを置かない家庭で育った私にとって友達の家以外の外泊も初であった。ちなみに学校行事以外で本州を出たのも。それでも行きたくて仕方がなかった。からいった。ちなみにテンションが上がりすぎて記憶がほぼない。


ソロシングルは『記憶/ココロオドレバ』。どうしても10万枚に乗せたいと購買運動がすごかった記憶がある。だって次に繋がるから。すばるくんはソロ一発だけで終わったら勿体なさすぎるから。


そして来る2015年2月14日 『味園ユニバース』公開。
結論から言おう。9回見に行った。ちなみに最寄りの映画館は梅田である。片道1000円ちょい、所要時間1時間弱。梅田か難波でばかり見た。今思うと少し馬鹿である。
最後の方は、台詞のほとんどを映画に合わせて暗唱できた。今思うとかなり馬鹿である。

スクリーンですばるくんがお芝居してる姿を見られる。嬉しい。すばるくんの歌が大切にされている映画だ、嬉しい嬉しい。ポチ可愛い、飼いたい。そんなことばかり考えていた。

ロッテルダム映画祭で上映されて、そこでうたを歌った。「関ジャニ∞」って書かれた服を着て。
ロケ地も巡ったし、ユニバース内公開の時もバイト終わりに電車に飛び乗って難波に行った。味園ユニバース観て味園ビルのホテルに泊まってみたりもした。
例えどれだけバリカンでバリッとされてもすばるくんが大好きだった。









なのに私は、担降りした。
それでもすばるくんは、いつでも姿を見られる場所にいるに決まってると思ってた。
今の自担を追いかけて見る長時間の歌番組にも関ジャニ∞はいるし、その真ん中で歌うのはすばるだ。なんか韓流みたいな髪型してんな、とか、やっぱ歌上手いなとかいつでも姿を見ながら思えた。

だって考えたことなかった。
「一生あなた達のアイドルです」っていったすばるが
関ジャニ∞っていうアイドルグループやってます」ってドリフェスで言ったすばるが
ロッテルダム行っても「関ジャニ∞」って書かれた服着てたすばるが辞めるなんて。
ファンの私がどうして考えられるんだろう。

音楽が好きな人なのは分かってた。歌を何より大切にしていることも知っていた。
すばるくんが好きなことを好きなだけできるようになればいいと、何度も思った。FLAT FIVE FLOWERSもソロ活動も何もかも彼が好きなように出来れば良かったのにと思った。
でも私の中に「彼がジャニーズではなくなること」という考えは一度も生まれなかった。

私は本当にすばるくんが好きだった。なんというか半分黒歴史レベルに。それはもう盲目的に。
Jr時代、愛してる愛してないを歌ったMステも、すばるのソロメドレーから始まって、エイトの曲に入っていく少クラも、Jrのコンサートでソロで歌う可愛い春くんみたいな見た目のすばるも大好きだった。
Jr黄金期のツートップと呼ばれていた渋谷すばるも何もかもが好きだった。
昔の映像や、写真、雑誌、躍起になって集めた。少しでいいから触れたかった。

なのになんで離れていけたんだろう。
大好きだったのに。終わりが来るって分かってたらきっと離れなかったのに。
あと3年くらいすばるだけ見てすばるだけ褒めて生きられたのに。
担降りしたって、すばるを追いかけたほどの熱量で現自担を追いかけたことはなかったくらいだったのに。
虹色eighterなんて言葉が巷に溢れていたとき、10代だった私は大声で言えないことだったけど、きっと私はすばる担だった。「赤よりの虹色eighter」じゃなくて「渋谷すばる担当」だったと思う。すばるがいるから、すばるが好きだというメンバーだから関ジャニ∞が大好きだった。
6人の関ジャニ∞が歌う、過去の曲はまだ聞けない。聞いていない。ひとつも。そしてあの会見もまだほとんど見ていない。まだすばるはジャニーズにいるから。関ジャニ∞に名前が残っているから、聞けない、見られない。

何も進めないことは分かっていても、すばるのいる関ジャニ∞のままで私の中の時間を止めてしまいたいと思う。6人が6人として頑張っているのは百も承知のうえで。

なんで海外なんだろう。あのロッテルダムが良かったのかな。ソロで歌うことで得られるものが大きかったのかな。ああ、私がすばるくんを好きでいた期間に大喜びした全てに理由が詰まっている気がする。味園もソロもCOVERSも関ジャムもロッテルダムドリフェスも明日はどっちだも、活動全部何もかも嬉しくて幸せだった。

すばるは音楽をする人だと信じ込んでいた。上手い下手の話じゃなくて、音楽をするしかない人だと思っていた。分かっていた。色々文句も言っていたけど、概ねすばるの音楽は大好きだった。音楽を好きなだけ出来たらいいのにねって思っていたし願っていた。
でもその音楽に、歌にすばるを連れていかれると思ってなかった。
それでも、願わなければよかったなとはどうしても思えない。



今日これを書いたのは2018年12月29日。
あと三日だ。実感はどこを探してもない。
2019年もすばるの姿がテレビで見られると信じて疑わないくらい。
この先どれだけ「関ジャニ∞は6人」が当たり前だと思うファンが増えていこうとも私の中では関ジャニ∞の真ん中に立って歌っているのは永遠にすばるだ。きっとそんなこと誰も望みはしないんだろうけど、いつかその永遠が終わるまでそう思わせて欲しい。
でも、すばるは決して帰ってこないんだろうと思っている。帰ってくるくらいならあの人は脱退なんて言わない。そうであって欲しい。


そう。私の望みはひとつ。
好きなことをして目一杯笑っていて。帰ってきてよ、なんて言えなくなるくらいに。